王アグリッパと妹ベルニケ、ローマ軍の千人隊長たち、町の重鎮たち…錚々たる顔ぶれが居並ぶ謁見の間に引き出されたパウロは、発言を許されたことをまず王に感謝してから語り始めました。弁明は実に理路整然としており、ユダヤ人でユダヤ教に詳しいアグリッパにはよく理解できたと思われます。

 パウロは3つのことを述べました。まず自分がかつてはファリサイ派のユダヤ教徒でキリスト教徒たちを激しく迫害していたという弁明(説明)、次にそんな自分がなぜ回心してキリスト者になったのか、復活のイエスさまと出会ったことで真実を知り迫害者から伝道者へ180度の転換が起こったという証し、そして最後に王始めすべての出席者が自分のようになって欲しいという説教までも滔々と語ったのでした。

 私たち読者は今までに2度、パウロのダマスコ途上での体験を読んできましたが今回の弁明は最も説得力があり力強く感動的です。パウロは旧約聖書のモーセと預言者が必ず起こると語ったこと以外には何ひとつ、誰にも語ってはいないと言っています。彼らが指さしたメシアこそナザレの人イエスであり復活の初穂なのだ、というのです。アグリッパ王はユダヤ教の中でもモーセ5書しか聖書とせず死者の復活を認めないサドカイ派でしたからパウロの勧めには腹がたったのでしょう。一方ローマ人の総督はパウロは学問のしすぎで頭がおかしくなったと言いました。でも結局参列者たちが出した結論は、彼には有罪となるようなことは何もない、ということだったのです。