信仰義認を軸に平和、喜び、希望、愛…、すべて神さまから賜る貴いものについて学んでいます。ここに上げられているものはガラテア書の「霊の結ぶ9つの実」とも重なってキリスト者の好ましい気質のように言われることもあります。気質と言われるからには身につけなければ…と焦る人が、多分いないとは思いますしいないことを望みますが。
さて今朝のメインテーマは「和解」です。Wikipediaには「当事者間に存在する法律関係の争いについて、当事者が互いに譲歩し、争いを止める合意をすることをいう。」とあります。和解と言う言葉は日常の社会生活でもよく使われる言葉です。こじれた関係を修復するために双方が歩み寄ること、ほどの意味でしょう。新約聖書で「和解」という言葉を使うのはパウロだけだそうですが、彼が「神との和解」という場合、それは必ず神から人間への一方通行の働きかけであると言われます。確かに、全き義なる神が罪ある人間に近づいて来られ御手を延べて「あなたとよい関係になろう」と言ってくださる、そんなイメージであってその逆はないのは当然だろうと思われます。罪人から神さまに向かって、よい関係を築くために差し出せるものなどあるはずがありませんから。結局は平和も、喜びも、希望も、愛もそして和解も、全部神さまからの私たち人間への一方的な贈り物なのです。遠慮せず有り難くすっかり頂戴したいものです。一方的に受けることに馴染まない現代人。しかし神さまとの間では、ギブアンドテイクの関係が成り立つことはありません。人としての分を弁えたいですね。