カファルナウムの会堂を立ち去ったイエスさまとお弟子たちはシモン(ペトロ)の家へとやって来ました。

もとはガリラヤ湖の漁師だった彼ら。安息日にはイエスさまについて会堂で礼拝を守っていたと思われます。シモンの家では彼の姑が熱を出して伏せっていました。イエスさまが姑の「枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去」ったとあります。熱もまた悪霊の仕業であり、前回同様その悪霊もイエスさまが神の聖者であってその権威と力には到底太刀打ち出来ないことを知っていたようです。熱が引いて元気になったシモンの姑はすぐに起き上がって一行をもてなしました。回復の喜びと癒してくださった方への感謝を何とかして表したかったのです。自分に出来る精一杯を行う彼女の姿は素敵です。

やがて夕方になり程なく安息日が明けました。すると多くの人々がイエスさまならきっと癒してくださる、そう思って自分たちの病人をシモンの姑の家に連れて来ました。イスラエルの共同体は弱者を放っておきません。皆で面倒を看る相互援助体制が整っていたのです。素晴らしいと思います。イエスさまは病人一人一人に向き合い訴えを聞きその頭に手を置いて祈られました。祝福を祈られたのです。病や悩みは辛いものですがその中でこそ得ることの出来るものがあるはず。イエスさまが否定的な事柄の中に宝を見つけるようにと取り成してくださるからです。