モーセの指示を胸に12人の偵察隊は出かけて行き、カナンの土地を行き巡りました。21節から24節にその活動の一部分が書かれています。目を惹くのはエシュコルの谷の「一房のぶどうのついた枝」のくだりです。棒に下げて2人で担がなければならないほど大きかったのです。そこから連想されるのは、それを食す人たちの大きさでしょう。真に、乳と蜜の流れるような豊かな地を見ながらも、担ぐ2人がヨシュアとカレブ以外であったなら、彼らの気持ちはさぞや重かったことだろうと想像します。
40日間の偵察を終えて12人はイスラエルの人たちが待つパランの荒れ野へと帰還しました。26節から29節は、その客観的な報告です。良い報告は、かの地が豊かな実りを産出する良い土地であったこと、でした。悪い報告は、住民が大きく強そうで、大きな城壁に囲まれた街に住んでいること、でした。彼らはモーセの指示に従って忠実に偵察し、結果を的確に報告したのでした。先住民のアマレク人、ヘト人、エブス人アモリ人というのは実在の民族で、それぞれネゲブの平野、山地、海岸地方での住み分けが整然と出来ていた模様です。
しかし偵察隊が強調したのは、アナク人でした。彼らは名の知られた巨大な戦士たちと言われ、その生き残りがガザ、ガド、アシュドトなどパレスチナ西部、地中海沿岸に住んでいた、と言われます。後世の話になりますが、ガドの巨人ゴリアトはペリシテ軍の戦士で、少年ダビデが石投げ紐と石1個で射止めた話は有名です。このゴリアトの背丈が3メートルほどもあったと言われますから、もはや神話の領域なのです。見かけたアナク人の姿とやらは誇大妄想の可能性すら考えられるのです。イスラエルの人たちの心中にあった「乳と蜜の流れる地」に対する期待や夢が萎んでいくのに時間はかからなかったのでした。