今朝のテキストから私たちは大事なことを学びます。それは、イスラエル
の民ではない「ニネベの人たち」が、ヨナの神さま、すなわちイスラエルの
神さまを信じた、という点です。思い出してみましょう。タルシシュ行きの
船が大嵐に見舞われた時、異邦人の船長は、ヨナのところにもやって来て叫
びました。「起きてあなたの神を呼べ!」と。彼はヨナの神にも救いを期待
したのです。このあたりの感覚は、八百万の神を拝む日本人には、ほとんど
違和感がありませんが、唯一神信仰のユダヤ人たちには仇し神を拝むなど、
決してあってはならないことでした。ところがヨナ書の著者は、登場する異
邦人たちを悉く、信心のある人たちとして描いているのです。これはヨナ書
の大きな特徴だと言われます。イスラエルの神から離れているから、という
理由で異邦人を見下し、軽蔑してきたはずのユダヤ人著者が、なぜこんなに
まで異邦人の回心を高く評価しているのでしょうか。実は、その心の奥には
イスラエル人の信仰の腐敗に対する痛烈な非難があったのではないか、そう
考えられるのです。筆者をヨナだとすると、彼はアッシリアが北王国を圧迫
し始めた時代に活躍した預言者でした。永遠不滅の神の国イスラエルに対す
る周辺諸国からの脅威、その原因を筆者ヨナは、イスラエルの堕落と腐敗に
よる神の怒りと理解したのではなかったでしょうか。異邦人でさえ真の神と
出会ったなら回心に至るのに、肝心の神の民の体たらくはどうしたことか。
そう言いたかったのではなかったでしょうか。私たち現代の信仰者にとって
も決して「昔話」ではありません。