続く3節4節のイエスさまの言葉は、実に鋭く私たちの現実を指摘しています。またここに限っては「あなたたち」という複数形ではなく「あなた」(「私」)という単数形で書かれています。イエスさまはあなたと(私と)1対1で、対面で語りたいと思っておられるのでしょう。それだけ大切なことなのです。3節。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
人間は、他者の欠点には実に目ざといものです。多分無意識にあら捜しをしているのでしょう。おが屑ほどのものにもすぐ気がついてしまうのです。しかし自分の目の中にある丸太には、おかしなことに気づけないのです。4節。
兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
自分の目の中の丸太にも気づけないようなあなたが、相手の目におが屑を見つけて、親切心からか「取ってあげましょう」などと言う。よく言えたものだねとイエスさまは仰るのです。イエスさまは私の目の中に、すなわち心に、視野を遮り景色を歪めてしまう悪しき障害物なる丸太が存在していることを見抜いておられるのです。そんな目で、何を正しく見ているというのか、と。これは「他者を裁く」という行為が、自分の分を越えて相手の領域にまで踏み込む「越権行為」なのだ、という厳しい指摘に他ならないのです。傲慢とか昂りと言うことも出来るでしょう。自己中心の最たる姿が見えてきます。