エフェソの教会に宛てた手紙には、情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るように、とあります。単に、情欲を避けて清い生活を送りなさいというよりも、その酷い服をきれいな服に着替えなさい、と言う方が言いたいことがよりリアルに伝わる気がします。この表現を用いて、彼は私たちに勧めるのです。光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように品位をもってあゆもうではありませんか。

 時代のせいか、パウロはしばしば武具を身に着ける様子を喩えとして用いています。その顕著な例がエフェソの6章です。彼の時代、街中を武具で身を固めた軍人が行き交っていたのでしょう。強そうではありますが物々しくて緊張が拭えません。ある書物にはそのことを考慮して、パジャマを脱いでお出かけファッションに着替えましょう、などとありましたが、パウロが言いたいのはこういうことなのです。

 私たちキリスト者は、終末の到来を知っているのだから、神さまの前に進み出る時の聖潔で整った美しい服装を、今のうちから身に着けて生活しようではないか。さらに、最善最上の衣服ファッションは、キリストを身に纏うことだ、と言っているのです。キリストを着せて頂く。確かに衣服は自分自身ではありません。でも衣服によって心持ちを変えることは出来るのです。キリストの再臨を待つ中間時代を歩み行く私たちに相応しい身なり、イエスさまにすっぽりと覆われた自分自身の姿を心にいつも映しつつ、真摯に日々を生きていきたいと思います。