9章からユダヤ民族のこと=神の民として選ばれ導かれて来た彼らがなぜイエスさまを受け入れず神さまに対して心を頑なに閉じているか=についてずっと述べて来たパウロ。思わず「確かこれってローマの信徒への手紙、つまりは異邦人キリスト者への手紙だったよね?」と突っ込みを入れたくなるほどのくどさに少々食傷気味でした。(でもそれもあと少しで終わりますが)

 今朝のテキストにおいてパウロは、ユダヤ民族の「頑なさ」とか今日のテーマである「ねたみを起す」ことが、実は神さまの深い御旨であったことを証します。

わたしは異邦人のための使徒であるので自分の務めを光栄に思います。ローマ11:13

 私たち異邦人に福音を伝える使命を「光栄に思う」とまで言い抜いています。そのお陰で私たちが今キリスト者でいられるのです。パウロは言わば命の恩人。だから9章冒頭の言葉などを聞くとつい心が騒いでしまいます。あれ!?これって「ねたみ」…。

 しかし神さまは人間の醜い嫉妬心までもご自身の御旨遂行のために用いられる方のようです。ユダヤ民族に妬みを抱かせるためにまず異邦人を救われました。異邦人はいわばユダヤ人の救いのために利用された訳ですが、それで異邦人が傷ついたとか損をしたとかいうのでは全くありません。異邦人もこの上ない恵みを頂いたのですから。預言者たちが活躍した時代、神さまは背信のイスラエルをご自分の許に引き戻すのために周辺の国々をお用いになりました。

 結局それらの国々は滅びるのですが、神さまは必ず彼らに語っておられたのです。「あなた方が私を知るようになるため」と。神さまはいつの時代も「人が神さまを知る」ことを望んで下さっていたのです。