今朝のテキストは5章12節から21節までの「まとめ」ともいうべき箇所です。それは、罪が人々に死をもたらすことによって支配したのと同じく、恵みが、人を義とすることによって支配し、私たちの主イエス・キリストによって永遠の命に導くためです。21節をフランシスコ会聖書研究所訳で記しました。罪の報いが死であることは素直に受け入れることが出来ます。でも上からの一方的な恵みが罪人すなわち私たちキリスト者のいわば主人となって、祝福を惜しみなく与えて永遠の命へと導く、というパウロの言葉も「それでは遠慮なく」と受け入れられるかというと…。抵抗なく受け取れない自分がいます。一方的に素晴らしいものを山のようにプレゼントされるだけ、何の見返りも求められない、などという「超お得なハナシ」に私などは実に不慣れなのです。しかしパウロの言葉はこの世の価値観や常識で判断すべきではありません。神の国の真実、永遠の真理を彼は語るのです。と、言うことは、神さまの恵みに対して眉唾と感じてしまう私は不信仰極まりないということでしょう。とほほ…。
パウロはローマ教会にとても関心を寄せていました。心配もしていたでしょう。離散ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が混在する教会、当時世界の中心であった大都市に作られた教会、パウロ自身が設立に一切関わらなかった教会。異端が勢力を増す中で誤った教えに走らないようにとどれほど祈っていたことでしょう。5章をどうにか読み終えて今パウロの心痛が少し分かったような…。