ヨシュアの言葉を読みます。まず5節。
自分自身を聖別せよ。主は明日あなたたちの中に驚くべきことを行われる。
ヨシュアは何よりも、人が神の前に可能な限り自らを清めること、汚れから遠のくことを求めます。次に9節10節。
ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け。生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは次のことで分かる。
イスラエルが、自分たちの間におられる「生ける神」を感じるのは如何なる時であるか、それは自分たちの前から7つの異民族が追い払われた時だ、すなわち人が神さまの大いなるみわざに接した時だ、というのです。確かに御業に接することで霊の目が開かれることは現代でも起こり得ることでしょう。神の聖性(清さ)の故に、俗なる人は努めて聖潔を求め続けるべきことも、昔と今とで何ら変わりはありません。
さて、この場面での清めの具体的な行為とは、契約の箱との間に約二千アンマ(≒900m)の距離を取ること、それ以上神の臨在に近寄ってはならない、ということでした。これを現代の言葉で表現するなら、人としての分を弁え神さまの前に膝を屈めて遜ること、となるように思います。清めは旧約時代における神の民の信仰告白の一つであったのかも知れないとも思います。何かと神の視線よりも他人の目を気にする現代の信仰者が心して見習うべき信仰の姿勢です。