詩編を読む

 定例祈祷会では目下詩編を通読しています。今日は66編を読みました。2月4日に第1編を読んで以降まだ半分にも届いていません。何しろ5か月を要する長旅なのです。

 時々言って来たつもりですが、新旧合わせて聖書全66巻の中で人から神さまに向かって語りかけるのは唯一この詩編だけ。つまり詩編は人の「祈り」なのです。私たちの祈りのモデルでもあるかも知れません。だから読めば読むほど親しみを感じるのでしょう。

 中には過激な言葉もあります。敵を呪う言葉、敵をやっつけてほしいと願う言葉、神さまを詰るような言葉、期待なんかしてませーんみたいな言葉さえもあってなかなかに刺激的です。私たちの激しく揺れ動く様々な感情にフィットする詩編も見つけられる気がするから不思議です。

 結局「人」というのは古代から現代に至る何千年もの長い間に「基本的な部分でほとんど変わっていない」ということなのでしょうね。