短縮祈祷会では聖書朗読もお祈りも牧師が行います。聖書は教会では出来るだけ開かず、聖書朗読も説教も耳で聞くことに集中してほしい、とは折々に言っていることですが、それを祈祷会で実践しているところです。

 読むことは能動態で聞くことは受動態。意志を持って読むのと耳に入ってくるものを意識的に受け取るのとではみ言葉の印象が違います。聖書は圧倒的に黙読する書物なので、機会を見つけては「聞いて」ほしいと思います。

 会堂での礼拝を休止している時、司会者が聖書箇所を朗読している間私は入室を待つ人に許可を送信するために画面を見ています。朗読の間文字を追っている人がほとんどですが、目を閉じて聞き入っている人たちもあります。その様子が何かほほえましい。外からの音を聞きつつ内なる声にも心の耳を傾ける。それが自分の呟きではなくイエスさまのみ声でありますように。