「あなたをどうしたら海が静まるのだろうか…。」乗組員たちのくじによる犯人捜しはヨナを処罰するためではなく、彼の神さまにこの非常事態を収めてもらうようヨナに祈らせるためでした。しかしヨナは依然として祈りません。あくまで神さまに盾突いて逃げ回るつもりなのか、どうにでもなれと自暴自棄になってしまったのか、それとも…?想像は尽きません。

さて乗組員たちの悩みに答えたのはヨナ自身でした。「私を海に放り込むがよい」。ヨナのとんでもないこの応答に彼らはうろたえ、櫓にしがみついて船を岸に近づけようとします。が、それは無駄な抵抗というもの。海を撹拌しておられるのは神さまの指なのです。万策尽きた乗組員たちはついにヨナの言葉通り彼を海に放り込もうと決意します。が、その前に切羽詰まった祈りをささげるのです。それも自分たちの神々にではなくイスラエルの神ヨナの神さまにです。

かたやヨナは悠然と人々によって海に放り込まれ海の藻屑と消えていきました。するとたちまち海は凪に。「人々は大いに主を畏れ、いけにえをささげ、誓いを立てた。」

今朝のテキストで最も感動する場面です。そう!異邦の神々の信仰者だった乗組員たちが回心したのでした。私たちは「品行方正で親切で愛に満ちていて無害でとーっても敬虔な私を見て、世間の人々がキリスト教の信仰を持ちたいと思うに違いない」と何かと努力するのです。が、ヨナを見ているとそうとも限らないんだなぁ…。私がどうとかは関係ないんだと思えて来ません?