神さまの導きの手に曳かれて、またキリスト者やそうでない多くの人々の様々な助けによって、パウロはついにローマの地に立つことが出来ました。パウロはずっと「ローマに行きたい」と願っていました。会ったことのないローマ教会の人々に手紙を書くことさえするほどに。
 2つの理由が考えられます。自らが設立に関与することなく立て上げられイタリア全体にまで広がりを見せていた「ローマ教会の信徒たち」に会いたい。世界最大の都で「イエスさまの福音」を宣べ伝えたい。しかしあこがれの目的地に到着した彼がまず行ったことは、ローマのユダヤ教徒たちとの話し合いだったのです。
 囚人としてローマ入りすることに対する弁明が最も必要なのは実は彼の同胞でした。裏を返せばそれはパウロが最も伝道対象としたかいのがユダヤ教徒たちだ、ということでしょう。彼はイエスさまから「異邦人への伝道者」としての召しを受けその道をばく進してきました。けれども心の中の切なる祈りは「同胞の救い」だったと思います。異邦人を愛する彼が同胞を愛さない訳がありません。しかし同時に同胞たちが如何に頑なな民であるかということもよくよく分かっていました。かつて自分がキリスト者に対して行ってきたことの「傷の痛み」と「回心の経験」も、彼の思いを同胞へと向かわせたことでしょう。
 エルサレムのユダヤ教徒たちとの最悪の関係、あんなことになってしまう前に多くの誤解を解いておきたい…。パウロのその気持ち、理解できます。しかし結果は・・・。