マタイの福音書24章、25章は「黙示的説話」と言われます。
「天の国は次のようにたとえられる」との常套句で始まるこの喩え話の場面設定は、幸せと明るい未来の象徴のような婚宴場で花婿花嫁の帰りを待つ介添え人のおとめ10人という華やかさです。しかしこのお話は「終末の裁き」のお話。終末をどう待つか、がテーマなのです。また裁きの喩え話を聞く時にはいつも立ち位置に注意しなければなりません。この場面では5人の賢いおとめたちの立ち位置に立たないと、ただ恐ろしく絶望的な物語になってしまいます。イエスさまの意図は、極端な対比を通して人々が賢い選択をするように、ということだと思います。控え目が美徳とされるこの国の感覚で読むと逆のメッセージを受け取りかねません。
花婿が花嫁を迎えに行き二人そろって帰って来て祝宴の席に着くというのがユダヤ流の結婚式だそうで、ここには花嫁が居るはずなのですが登場しません。説教では物語に影響しないからとだけ説明しますが、登場しない理由がもう一つあります。エフェソ書や黙示録にもありますように花婿はキリスト、花嫁はキリスト教会を表す、というのがキリスト教界で慣例のようになっています。ゆえに5人の賢いおとめはキリスト教会という解釈が出てくる可能性があります。無用な混乱を避けるための配慮でしょうが、同じ配慮で「花嫁」という言葉を書き足している訳もあるといいます。先週の「兄と弟の逆転」といい、聖書翻訳者たちの渾身の努力が偲ばれますね。