13節を読みます。
希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
先に申しましたようにこの言葉が、実質上のローマ書の最後の1節です。ここには最終句に相応しくパウロの聖書観が込められています。15章4節でパウロが聖書について語っているので読みます。
かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。
かつて書かれた事柄とは、旧約聖書のことです。これは間違いなくキリスト者のために書かれたものです。何故なら旧約聖書はユダヤ教の聖典ではありますがユダヤ教には旧約も新約もないからです。因みにユダヤ教では聖典をヘブライ聖書と呼びます。
パウロは言うのです。忍耐と慰めは実は聖書が与えてくれるのではなく、希望の源である神が あなたがたに与えてくださるのだ、と。だから私たちは、希望を持って待ち続けることが出来るのだと。神さまが聖書に於いて、忍耐、慰め、希望を語られたなら、神さまが聖霊の力によって私たちに確実に忍耐と慰めと望みを抱かせてくださる、と、パウロは確信しているのです。その確信の現れが13節の祈りなのです。従って彼は信じているのです。この神さまが、聖霊の力によって、価値観や文化や、宗教の違い、民族の違い、その他 深刻な確執から些細な諍いに至るまで、あらゆる違いによる分断が教会にあったとしてもローマ書に書かれた通りの解決が与えられるのだ、と。
パウロにこの手紙を書かせられた神さまは私たちに「互いに受け入れ合う愛」「喜びと平安」を満たしてくださるに違いありません。これは根拠のない夢想ではありません。まっ直ぐに信じて、確信をもって祈り続けましょう。